大阪高等裁判所 昭和56年(う)568号 判決 1981年9月17日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四年に処する。
原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。
押収してある包丁一本及び包丁の刃先一本を没収する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人和島岩吉、同小野田学、同川中修一、同黒川勉作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官作成の答弁書記載のとおりであるからこれらを引用する。
控訴趣意中事実誤認の主張について
論旨は、原判決は被告人の原判示行為を過剰防衛行為であるとしているが、被告人の行為は正当防衛行為であり、原判決はその前提となる諸事実を誤認している、というのである。即ち、原判決は、被害者Aからの被告人及び妻子の生命、身体に対する不正の侵害は被告人の加害行為の時点でも急迫していたと一応は認定しているが、その侵害の程度及び急迫性は、原判決が認定しているよりもはるかに重大なものであり、また被告人はAがBらに組みつかれて自由に身動きできない状態であることを認識しておらず、Aの激しい攻撃に触発された恐怖のあまり、思わず本件行為に及んだものであって、その状況は「他に容易にとりうる方法が残されていた」というものではなく、まさに「已むことを得ざるに出でたる」正当防衛行為である、これを認めなかった原判決は、Aの右侵害行為の程度や当時の被告人の認識内容及び心理状態等の正当防衛判断の前提となる事実を誤認している、というのである。
よって所論にかんがみ、記録を精査し当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、原判示証拠によると、被告人の本件行為が正当防衛にあたらないことは原判決が詳細に説示しているとおりであって、そこには何らの事実誤認もない。即ち、Aの侵害行為については、原判決が正確にこれを認定しており、その結果急迫不正の侵害の存在も認められるところである。しかして被告人が加害行為に及んだ時点においては、AがBらに組みつかれて身動きが自由でなかったことは厳然たる事実であり、侵害行為の程度をその限りで低く評価した原判決には何らの誤りもない。また、被告人が判示加害行為に出るに至ったのは、原判示のとおり、防衛のためであったとの一面もあるが、同時に、これまで親身になって面倒をみてきたAから全く理不尽な言い掛かりをつけられ、はじめはそれがシンナー中毒によるものであると考えて冷静に応対しようとしたが、原判示の如き暴れ方をされたうえ、唾をはきかけられたり、「お前なんか最初から兄弟とは思っていない。」などとののしられたことから、遂に激情にかられて本件行為に及んだものであり、所論のように「Aの激しい攻撃に触発された恐怖による逆上、恐怖による狼狽に基づく行為」とはとうてい認められない。そして、このような動機と、被告人がいったん台所まで引き返し扉を開けて包丁を取り出しこれをもって身動きの制限されている被害者を刺し原判示の如き傷害を負わせて死亡させるに至っているという本件の行為態様をもあわせ考えれば、被告人の殺意は十分肯認でき、かつその行為は防衛の程度をはるかにこえたものといわざるをえない。
その他所論は縷々原判決を攻撃するところ記録を精査検討してみても、原判決には所論のような事実誤認の廉は認められない。論旨は理由がない。
控訴趣意中法令適用の誤の主張について
論旨は、原判決が被告人の行為を相当性を欠くものとして、正当防衛と認めなかったのは、刑法三六条一項、盗犯等の防止及び処分に関する法律(以下「盗犯等防止法」という。)一条一項、二項の解釈・適用を誤ったものである、というのである。
よって、案ずるに、被告人の行為が刑法三六条一項にいう正当防衛にあたらないことは前述したとおりである。次に、盗犯等防止法の適用について検討するに、同法一条一項と刑法三六条一項とを対比すると、侵害の対象である法益の範囲及び侵害の態様について前者の方が狭く限定されており、かつ前者には防衛の程度について「已むことを得ざるに出でた」との文言が除かれていることに照らすと、盗犯等防止法一条一項の適用につき、刑法三六条一項と全く同等の相当性を要すると解するにはいささか難があるといわざるをえない。しかし、盗犯等防止法一条一項の規定は、形式的にこれに該当する行為はすべて正当防衛であるとまでいうものではなく、そこには自ずから違法性の一般理念に基づく限界があるのであって、著しく相当性を欠き実質的に違法性を欠くとはいえないような場合には、同条項も適用されないというべきである。
これを本件についてみると、被告人の行為は前述のとおりのものであって、それは防衛の程度をはるかにこえ、相当性を著しく欠いているものといわざるをえないから、同法一条一項を適用する余地はない。さらに所論は、同法一条二項を適用すべき旨主張するが、本件の内容に徴し所論は採りえない。従って、結局当裁判所の見解と同じ結論に達した原判決には所論のような違反はない。論旨は理由がない。
控訴趣意中量刑不当の主張について
論旨は、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのであるが、所論にかんがみ、記録を精査し当審における事実取調の結果をもあわせて検討するに、本件は、過剰防衛による殺人罪であるところ、犯行にいたる経緯、動機ことに被害者Aの無軌道な日常の生活態度、被告人のそれを善導するため尽力した対応ぶり、本件直前のAの狂暴な振舞、挑発的言動さらには事件後の被告人の反省やその家庭事情、遺族ことに父親の被告人を宥恕する被害感情、被告人には前科前歴なく真面目に生活していたこと等、被告人のために斟酌すべき情状が少なからず認められる反面、その犯行態様及びその結果の重大性において、被告人を責めるべき点があることも否定し難い。従ってこれらのすべての情状を刑政の本義に照らして深慮すると、被告人に対して、その刑の執行を猶予すべしとする所論は採りえないけれども被告人を懲役五年に処した原判決の量刑は重きに過ぎるというべきである。論旨は理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。
原判決が認定した事実にその挙示する各法条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 矢島好信 裁判官 杉浦龍二郎 石塚章夫)